マルガレータ・フォン・エスターライヒ (1567-1633)
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マルガレータ・フォン・エスターライヒ Margaretha von Österreich | |
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オーストリア大公女マルガレータ、1610年頃 | |
出生 |
1567年1月25日 神聖ローマ帝国、ウィーナー・ノイシュタット |
死去 |
1633年7月5日(66歳没) スペイン帝国、マドリード |
埋葬 | スペイン帝国、マドリード、ラス・デスカルサス・レアレス修道院 |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世 |
母親 | マリア・デ・アウストリア |
マルガレータ・フォン・エスターライヒ(Erzherzogin Margaretha von Österreich, 1567年1月25日 - 1633年7月5日)は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と皇后マリア・デ・アウストリアの第15子、五女。
生涯
[編集]スペイン王フェリペ2世の妹である母皇后によって厳格なカトリック教育を受けた。未亡人となった母は1582年に祖国スペインに帰国する際、末娘のマルガレータを一緒に連れ帰った。翌1583年、マルガレータはクララ修道会の経営するマドリードのラス・デスカルサス・レアレス修道院(Monasterio de las Descalzas Reales)に入り、修道女として静かに生涯を送った。死後、遺骸は同修道院の墓地に葬られた。
参考文献
[編集]- Richard Reifenscheid: Die Habsburger in Lebensbildern, Piper Verlag (2007) ISBN 978-3-492-24753-5
- Constantin von Wurzbach: Habsburg, Margaretha (Tochter des Kaisers Maximilian II.). In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. Band 7. Verlag L. C. Zamarski, Wien 1861, S. 14.
外部リンク
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